私たちの多くは、去年に引き続き今年の夏休みも旅行ができない状況下に置かれています。
COVID-19が始まって以来既に1年半以上、旅行どころか離れた家族に会うことさえも制限のある時代を生きています。
感染が少し収まるたびに移動制限解除の知らせに喜ばされたり、感染が増えて落胆したり、この1年半本当に心が忙しかったです。
私はステイホーム中、世界中にある次なる目的地の検索に勤しんでいました。
不可抗力によって、強制的に人々とのつながりを遮断されたことで、このパンデミックから解放されて、まず人間は何を望むのか?
本能的に、人々との有意義なつながりを求めるのではないか?と思いました。
そして、旅好きである多くの人が自然界とのつながりをとても大事に思っています。
山や木や湖、そして昔から姿を変えずに存在する田舎道など、自然界には非常に多くの神聖な場所があり、人々を癒してくれます。
私がCOVID-19明けにまず行こうと準備している場所がバリであり、この全てが揃っているのです。
そして、もう一つ思いついたのが、世界的にも有名でスペインにあるサンティアゴ巡礼路での巡礼の旅でした。
約800kmの道のりを自身のスピードで只管歩き続ける。
その中で、世界中の巡礼者との出会いや、大自然との触れ合い。
まさに世界が解放された瞬間に、世界中の人と有意義なつながりができる旅になること間違いなしです。
この記事では、サンティアゴ巡礼の計画を立てる方、サンティアゴ巡礼について知りたい方向けに、「カミーノ」について、解説をしたいと思います。
- サンティアゴ巡礼:カミーノ(Camino)!サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して
- まとめ
サンティアゴ巡礼:カミーノ(Camino)!サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して
最も人気のあるサンティアゴ巡礼路は、フランスにあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポー(Saint-Jean-Pied-de-Port)をスタートして、ピレネー山脈(Pyrénées)を越えてスペインに向かいます。
関連記事:カミーノ(Camino)Day1:「ST.JEAN PIED-de-PORT~RONCESVALLES」サンティアゴ巡礼【スペイン】
そして中世の時代から多くの巡礼者が滞在していたロンセスバジェス(Roncesvalles)を通り、牛追い祭り:サン・フェルミン祭(Fiesta de San Fermín:毎年7月6~14日開催)で有名なパンプローナ(Pamplona)に向かいます。
カミーノ(Camino)Day2:「RONCESVALLES~ZUBIRI」サンティアゴ巡礼【スペイン】
パンプローナでは束の間の休息と観光するには最適な街になっています。
パンプローナを出発し、蛇口から出たワインを無料で飲める場所のあるプエンテ・ラ・レイナ(Puente la Reina)を通過します。
その後、古くからサンティアゴ巡礼路の交差する交通の要所でもあるログローニョ(Logroño)を通り、スペイン北部における交通の要所であり、幾度も軍事拠点にされてきた歴史を持つブルゴス(Burgos)で11世紀のスペイン史に登場するカスティーリャ王国(Reino de Castilla)の貴族:エル・シッド(El Cid)の騎馬像に挨拶をして素晴らしい佇まいのブルゴス大聖堂(Catedral de Burgos)を眺めます。
そして現代の巡礼者が必ず足を止めるレオン(León)に滞在して、ちょっとした観光を楽しみます。
レオンには、アントニ・ガウデイ(Antoni Gaudí)の設計によって1891~1892年に建設された「カサ・ボティネス(Casa Botines)」を始め、見事なゴシック様式のレオン大聖堂(Catedral de León)があります。
レオンでの観光後また巡礼に戻り、アストルガ(Astorga)、そして中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会「テンプル騎士団」縁の地であるポンフェラダ(Ponferrada)に訪れます。
ここまで来れば残りは200kmを切っており、ゴールは目前になります。
ポンフェラダを出発して、ビジャフランカ・デル・ビエルソ(Villafranca del Bierzo)を通り、サリア(Sarria)を抜けて、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)に到着です。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:歴史
キリスト教の十二使徒の一人、「サンティアゴ・エル・マヨール(Santiago el Mayor:聖ヤコブ)」の墓が発見されてから現在に至るまで、数多くの巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂(Catedral de Santiago de Compostela)を目指すという共通の目的を持って日々様々な山道を歩いています。
聖ヤコブは、イベリア半島にキリスト教を広めた人物です。
西暦44年にエルサレムで斬首刑とされ殉教し、十二使徒の中で最初の殉教者となりました。
後に遺体がガリシアに移されるのですが、3世紀頃から長い間放置されます。
その後、長い年月を経て814年頃にペラヨという名前の隠者(Ermitaño Pelayo)によって放置されていた聖ヤコブの墓が発見され、アストゥリアス(Asturias)の「アルフォンソ2世(Alfonso II de Asturias)」に知らせたことから、サンティアゴ巡礼の歴史が始まります。
サンティアゴ巡礼歴史:初期
スペイン国内でキリスト教徒とイスラム教徒が対立していた9世紀、聖ヤコブの墓が発見され、アルフォンソ2世がその場所に教会を建てるように命じました。
842年、聖ヤコブの墓を確認するために、アルフォンソ2世はアストゥリアスの首都:オビエド(Oviedo)からサンティアゴへ巡礼をしたとの記録があり、アルフォンソ2世が最初の巡礼者と考えられています。
アルフォンソ2世が巡礼した道は、プリミティーボの道(Camino Primitivo)と呼ばれ、一番最初の公式巡礼路とされています。
アルフォンソ2世以外には、12世紀にカリクストゥス写本(Codex Calixtinus)を書いたとされるフランス人学者のエメリック(アイメリ)・ピコー(Aymeric Picaud)が有名です。
エメリック・ピコーは、フランス人の道を歩き、巡礼路にある宿泊施設や教会、食、文化、習慣などに関する情報を5つの書にまとめ、5つ目の書が最初の「巡礼ガイドブック」として知られています。
ガリシアで聖ヤコブの墓が発見されてから100年後、そのニュースはヨーロッパ中に広まり、ヨーロッパ各国から何千人もの巡礼者がサンティアゴを目指し巡礼したそうです。
巡礼者の増加により、巡礼沿いに病院や巡礼者用の宿泊施設が建設されました。
サンティアゴ巡礼歴史:衰退
サンティアゴ巡礼は、10~12世紀にはとても人気があったのですが、その後徐々に衰退していくことになります。
巡礼者のアイコンとなっているホタテの貝殻のモチーフの使用(最も古い記録は1125年頃のサンタ・マルタ・デ・テラ(Santa Marta de Tera)にあります)は、この時期に広く拡張され、様々な巡礼に使用されていたそうです。
サンティアゴ巡礼の衰退は、政治・経済情勢が不安定な時代であったことが原因とされています。
その後も、幾度となく行われる戦争やそれに付随して起こる飢餓、プロテスタントの出現による巡礼者の類型の質的な衰退などが重なりました。
このようなことから、サンティアゴ・デ・コンポステーラに繋がるルートは、犯罪者、凶悪犯、物乞い、ホームレスの人々で埋め尽くされていきます。
そしてギャングの出現と巡礼者間での犯罪の増加など、不安要素が増えていったのです。
サンティアゴ巡礼歴史:回復
1884年、ローマ教皇レオ13世(Pope Leo XIII)が、1589年にフランシス・ドレーク(Sir Francis Drake)による攻撃以来隠され続けた聖ヤコブの遺骨を再発見し、サンティアゴ巡礼路を強く推進し徐々に巡礼人気が回復していきます。
そして1985年、サンティアゴ・デ・コンポステーラは世界遺産の都市としてユネスコに選ばれ、サンティアゴ巡礼路の整備が年々整っていきました。
参照:Santiago de Compostela (Old Town) - UNESCO World Heritage Centre
サンティアゴ巡礼歴史:現在
現在のサンティアゴ巡礼は、数々の歴史の中で最も良き時代になっているといえます。
2015年に263,000人の巡礼者がサンティアゴまで巡礼し、2019年には約348,000人の巡礼者が巡礼をしたと記録されています。
巡礼者の国籍は幅広く、ヨーロッパではイタリアやドイツ、その他にはアメリカや日本など多くの国から巡礼者が毎年サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩いています。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:ルート
サンティアゴ巡礼路は、どのルートを歩いてもスペイン北西部のサンティアゴ・デ・コンポステーラに通じています。
サンティアゴ巡礼路は当初、紀元1~2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書「新約聖書」に登場するイエスキリストの主要な使徒の一人である聖ヤコブのお墓への巡礼として中世の時代に始まりました。
聖ヤコブは、サンティアゴ・デ・コンポステーラに今も眠っています。
今日の巡礼者は宗教的なものだけでなく、様々な理由で巡礼の旅をしています。
サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かうのに、正しい方法も間違った方法もありません。
あなたが選択した場所から、あなたのカミーノが始まります。
サンティアゴ巡礼路は、どのルートも年々整備されてきています。
多くの宿泊施設(アルベルゲ)や、多くのツアー、そしてそれに比例して巡礼者も増えています。
最も人気のあるルートは「フランス人の道」で、巡礼に最適な夏のシーズンであれば、多くの巡礼者と共に巡礼をすることが可能です。
あなたが静かに巡礼をしたいと思うのであれば、「ポルトガル人の道(Camino de Santiago Portugués)」「イギリス人の道(Camino de Santiago Inglés)」「北の道(Camino de Santiago del Norte)」などの、巡礼者があまり歩いていないルートを選択するか、観光シーズンを避けて巡礼するようにしましょう。
フランス人の道:Camino de Santiago Francés
約800kmあるフランス人の道は、サンティアゴ巡礼路の中で最も人気のあるルートで有名です。
毎年10万人以上の巡礼者がこのルートを歩いています。
人によってはロンセスバジェスからスタートする方もいますが、ほとんどの方がフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから出発します。
このルートの初日は、ピレネー山脈を越えるという難所があるのですが、もし厳しそうであれば、途中の町で一晩滞在して進むこともできるので心配は不要です。
関連記事:カミーノ(Camino)Day1:「ST.JEAN PIED-de-PORT~RONCESVALLES」サンティアゴ巡礼【スペイン】
ポルトガル人の道:Camino de Santiago Portugués
リスボンとサンティアゴ・デ・コンポステーラを結ぶ約610kmに及ぶポルトガル人の道は、「ハコベアルート(Ruta Jacobea Primitiva)」として有名で、リスボンを出発してサンタレン(Santarém)、コインブラ(Coimbra)、ポルト、バルセロス(Barcelos)、ポンテ・デ・リマ(Ponte de Lima)、ヴァレンサ(Valença)、トゥイ(Tui)、ポンテベドラ(Pontevedra)、パドロン(Padrón)を通り、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指します。
ポルトガル人の道のスタートはリスボン(Lisboa)からですが、主要なスタート地点はガリシア州(Galicia)にあるポルト(Porto)とトゥイで、ほとんどの巡礼者がこの2つの主要なスタート地点を選択して巡礼を始めます。
ポルトからスタートした場合の距離は約227kmで、トゥイからスタートすると約115kmの道のりとなっています。
このルートは、中世の時代から使用されていて、サンティアゴ巡礼路の中でも重要なルートの一つです。
ポルトガル人の道は、フランス人の道に次いで人気のある巡礼路になっています。
北の道:Camino de Santiago del Norte
北の道(別名:リエバナルート(Ruta Jacobea por Liébana))は、スペインとフランス国境近く:バスク地方(Vasconia)にあるイルン(Irun)という町から、スペイン北部の海岸線であるサン・セバスティアン(Donostia)、ゲルニカ(Gernika-Lumo)、ビルバオ(Bilbo)、オビエド(Oviedo)を通り、アルスーア(Arzúa)という町でフランス人の道と合流し、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう約817kmに及ぶ沿岸ルートになっています。
このルートは古くからあるローマ街道(Via Romana)を通る巡礼路で、イスラム教徒の支配が北部に広がり、フランス人の道に沿った巡礼が危険に晒されていたときにキリスト教の巡礼者に使用されていた道です。
このルートでの巡礼者は少なく、初級者向けではありません。
フランス人の道やポルトガル人の道と違い、宿泊施設や修道院などは少なく、巡礼者向け宿泊施設であるアルベルゲは20~35km間隔でしかありません。
プリミティーボの道:Camino Primitivo
プリミティーボの道は、アストゥリアス州の古都:オビエドから始まり、ルーゴ(Lugo)を通り、メリーデ(Melide)という町でフランス人の道に合流してサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す、内陸部を通る約320kmの巡礼路になっています。
「プリミティーボ(Primitivo)」とは、イタリア語で「最初の」や「一番目の」を意味する言葉で、サンティアゴ巡礼はオビエドを起源とするとされていることから、この巡礼路にプリミティーボという名前が付いたそうです。
アストゥリアス州のアルフォンソ2世とその側近が、聖ヤコブの墓(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)を訪れる為に9世紀にオビエドを離れ、その巡礼が文書化されているものに記されている旅程がプリミティーボの道として、現在の巡礼に使用されているのです。
プリミティーボの道が最もお勧めする理由として、巡礼路の風景の美しさです。
このルートには、いくつもの森や川、牧草地、谷、丘、山、村を通ります。
また、野生の馬も多数見ることができるルートで、現代的なものから距離をとった巡礼らしい巡礼の旅となるはずです。
ほとんどの道は、大自然の中を歩き、交通量の多い道路を歩くことはほとんどありません。
イギリス人の道:Camino de Santiago Inglés
イギリス人の道は、数多く存在するサンティアゴ巡礼路の中で最も距離の短いルートです。
ガリシアの港湾都市であるフェロル(Ferrol)またはア・コルーニャ(A Coruña)の町から始まり、フェロルからの道のりは約118kmで、ア・コルーニャからは約75km、南に向かってサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指します。
イギリス人の道は、イングランドとフランスの百年戦争(1337~1453年)の間、イギリスの巡礼者と商人が許可を得てガリシアの港に行き、サンティアゴを訪れる為に使用されていたことから、この巡礼路ができあがったそうで、中世の時代に巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラに到達するための便利な道となっていました。
サンティアゴ大聖堂で巡礼を終えたことを証明するコンポステーラ(巡礼証明書)を受け取るには最低100kmの巡礼が必要となり、イギリス人の道を歩いてコンポステーラを受け取るためには、フェロルからの巡礼が必須となります。
銀の道:Vía de la Plata
銀の道は、サンティアゴ巡礼路の中で最も長距離のルートになっています。
スペイン南部のセビーリャ(Sevilla)を出発して、サフラ(Zafra)、メリダ(Mérida)、カセレス(Cáceres)、サラマンカ(Salamanca)、サモラ(Zamora)などの数多くの遺跡や文化遺産が残る歴史的ルートになっている巡礼路です。
この巡礼路は、イベリア半島を縦断する為にメリダからアストルガまでの道をローマ人が建設したローマ街道です。
ローマ街道はイベリア半島西部の主要な交通路として利用されていたのですが、中世後期にサンティアゴへ北上する巡礼路となりました。
当初、銀の道はメリダから始まったのですが、後にモサラベ(mozárabes)の領土がキリスト教化されたことで、セビーリャまで拡大したそうです。
日陰のないルートが続くため、気温の上昇する夏はかなり過酷なルートとして有名です。
その他
サンティアゴ巡礼路は、上記で紹介したルート以外にもかなりの巡礼路があります。
マドリードの道(Camino de Santiago de Madrid)、フランス人の道に合流するアラゴンの道(Camino de Santiago de Aragonés)、冬の道(Camino de Invierno)、サナブレスの道(Camino de Santiago Sanabrés)などもあります。
ただ、巡礼者の少ない道は、整備もそれほどされていない場所が多く、標識なども疎らでかなり難易度の高いルートばかりです。
また、バルセロナ近郊の人気のパワースポットでもあり、キリスト教の聖地とも言われているモンセラットから続く道(Camino de Santiago Catalán: Ruta por Huesca)もサンティアゴ巡礼路にあります。
関連記事:モンセラット(Montserrat):バルセロナから日帰り観光できる人気のパワースポット【スペイン】
その他、ヨーロッパの国々から様々なルートでサンティアゴ巡礼路が広がっています。
フィステーラ岬(フィニステレ岬):Cabo Finisterre(Cabo Finisterre)
サンティアゴ巡礼は、本来サンティアゴ・デ・コンポステーラで終了するものとなっており、フィステーラ(Fisterra)とムシア(Muxia)は、巡礼証明書(コンポステーラ)にはない目的地です。
しかし、多くの巡礼者は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後、数十日間歩き続けたエピローグとしてフィステーラに向かいます。
ローマ時代、この場所は「世界の終わり」であると信じられていたそうです。
「Finisterre」という名前は、「地の果て」を意味するラテン語の「finisterrae」に由来していることからも、世界の終わりと信じられていたことが伺えます。
サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着した巡礼者の10~15%が、フィステーラへの旅をすると推定されているそうです。
サンティアゴ巡礼の目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの大変な道のりを終えてなお、約90kmの道のりを歩くことになりますが、世界の終わりで観る広大な海に沈む夕日は、人生に影響を与える景色になりそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラからバスでも行くことができます!
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:宿泊施設
サンティアゴ巡礼路には、巡礼者用の宿泊施設「アルベルゲ」が多数あります。
アルベルゲとは、簡単にいうと巡礼者のためのホステルです。
標準的なアルベルゲには、二段ベッドが複数設置されているドミトリールーム、共有のシャワー設備、キッチン、共用エリアなどがあります。
このアルベルゲは1泊当たり€10程度から宿泊できるようになっています。
施設毎に宿泊料金が違うので都度確認してください!
訪れた先の地域や協会が所有するアルベルゲは、とても質素ですが素晴らしい雰囲気で巡礼者を迎え入れてくれます。
アルベルゲは、予約できる施設も多数ありますが、基本的に予約せずに訪れる巡礼者が多いです。
また、アルベルゲは、その後一緒に巡礼をできるパートナーを見つける出会いの場にもなっていて、サンティアゴ巡礼路で世界中の友達をつくることも可能にしてくれます。
ただ、毎日疲れた身体で知らない人と同じ部屋で寝るのは苦痛…という方もいるかと思います。
そんな方は、市営のユースホステルがあり、ユースホステルであれば個室も用意されていて門限もなく、ホテルより安く泊まれるようになっています。
ユースホステルは基本的に1泊当たり約€30程度です。
朝食はない場合が多いですが、近くの商店などで買って食べれば問題ありません。
宿泊施設は予算に応じて選択するようにしましょう。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:最適な時期
サンティアゴ巡礼をするのに最も適した時期は、4~6月の上旬、9、10月です。
7,8月はヨーロッパのバカンスシーズンであり、かなり混雑する上に、とても暑いので体力の消耗が激しくなります。
混雑している夏の時期に訪れた場合、アルベルゲが満室ということもあり、更にストレスに晒されるかもしれません。
出会いは多いですが♡
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:クレデンシャル
サンティアゴ巡礼で巡礼者が持っている巡礼パスポート「クレデンシャル」。
クレデンシャルは、巡礼者が徒歩、自転車などでサンティアゴ巡礼をしたことを確認するための公式の文書となっていて、巡礼者の身分証明書とみなされています。
このクレデンシャルは携帯必須ではないのですが、巡礼者用に提供されているアルベルゲに宿泊する際や、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後、巡礼証明書(コンポステーラ)を受け取る際に必要となります。
クレデンシャルには、各地にスタンプを押してもらえる場所があり、巡礼者がどこで食べ、どこに滞在したのかの記録が残されていきます。
そして巡礼が公式ルートに沿って達成されたことを証明するものとなり、サンティアゴの巡礼事務所でコンポステーラを受け取る資格があることの証明書となります。
コンポステーラを受け取るには、徒歩で100km以上、自転車で200km以上巡礼をする必要があります。
クレデンシャルを日本で入手したい場合は、「日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会」の公式サイトから入手可能で、送料込みで1,400円となっています。
公式サイト:クレデンシャル | CAMINO | 日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
なお、現地調達したい方は、公式アルベルゲや巡礼者事務所などカミーノの主要施設で入手することができ、¢50~€2程度になっています。
日本で入手すると少し高めですが、日本語仕様になっています。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:旅費
サンティアゴ巡礼での出費は、主に宿泊費と食費になります。
これについては、人それぞれ旅の仕方が違うのですが、アルベルゲに宿泊した際にかかる宿泊費が約€10~15、食費を入れると1日当たり€30~50程度が妥当なところだと思います。
ほとんどのアルベルゲには共用のキッチンがあり、他の巡礼者と一緒に自炊して食べることもできるので、食費をもっと抑えて旅費を削ることも可能です。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:年齢層
サンティアゴ巡礼路を巡礼している巡礼者は老若男女様々ですが、平均的に30~50代の方が一番多いようです。
また、引退されて夫婦で巡礼をしている方も多いです。
ほとんどのアルベルゲでは、夜は10時に消灯となり、朝7時前頃から巡礼を始める巡礼者がほとんどで、あまり若者が魅力を感じる旅ではない事が10~20代が少ないことに一因しているのではないでしょうか。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:ガイドブック
日本語で出版されているサンティアゴ巡礼のガイドブックは限られていて、情報もかなり薄くあまり役に立たないのが正直なところです。
世界中から訪れている巡礼者の多くが使用しているガイドブックは英語版になりますが、かなり詳細な情報があり、そちらをお勧めします。
カミーノ・デ・サンティアゴ巡礼:サンティアゴ・デ・コンポステーラ
サンティアゴ・デ・コンポステーラは、サンティアゴ巡礼の最終目的地です。
巡礼者は最後にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を訪れてサンティアゴ巡礼を終了させます。
このサンティアゴの美しい旧市街は、1985年にユネスコ世界遺産に登録されていて、エルサレムやローマと並んで、「キリスト教の3代巡礼地」となっています。
参考:Santiago de Compostela (Old Town) - UNESCO World Heritage Centre
旧市街には、歴史的建造物が多く立ち並んでおり、狭く曲がりくねった道が数多く存在ます。
サンティアゴ・デ・コンポステーラには、多くの魅力的な観光名所があるので、巡礼の最後に何泊かして観光を楽しみましょう。
まとめ
サンティアゴ巡礼は、聖ヤコブが埋葬された9世紀から始まり、21世紀の今もなお毎年多くの巡礼者が世界中から訪れて巡礼を続けています。
カミーノ・サンティアゴ巡礼は、老若男女、宗教の有無、あなたが健康であろうが無かろうが、全ての人を対象とし受け入れています。
1970年に68人だった巡礼完了者が、1985年には690人、2000年には55,004人、2015年には262,516人、2019年には347,578人と年々巡礼者の数が増えています。
この人数は巡礼証明書の発行数を基にしているので、もっと多くの巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して、毎日サンティアゴ巡礼路を歩いています。
コロナ禍によって強制的に人生について深く考えさせられる時間を得た方も多いかと思います。
そんな今、アフターコロナの時代にピッタリの目的地だと思い、この記事を書こうと思いました。
また、巡礼路の詳細についても投稿していますので、巡礼前に巡礼路を見ておきたい方は、ぜひそちらも参考にしていただければと思います。
この記事が誰かのお役に立てれば嬉しいです♡