家は大きくなくていいの。
旦那さんと私と犬2匹が窮屈でない程度の平屋建て一軒家。
犬が遊べる小さな庭があって、その庭には読書の出来るソファを置くの。
高級車なんて望んでなくて、犬が汚しても気にしない、そんな車を一台。
週末は家族2人&2匹でピクニックに出かける。
これが私の最大の夢。
ずっと昔からの夢をイメージしたときに、一番に思いつく場所がイタリアのトスカーナにあるオルチャ渓谷(Val d'Orcia)。
インスタグラムなどのSNSで頻繁に目にする世界の景色の一つではないでしょうか?
この記事では、そんなオルチャ渓谷の紹介をしたいと思います。
オルチャ渓谷(ヴァル・ドルチャ):インスタグラムで見るトスカーナの絶景へ
オルチャ渓谷(Val d'Orcia)は、イタリア中部のトスカーナ地方にあるシエナ(Siena)の南の丘からアミアータ山(Monte Amiata)まで広がっています。
そのなだらかな丘には、名前の元となったオルチャ川(Fiume Orcia)が中央を横切り、中世に起源を持つピエンツァ(Pienza)、モンタルチーノ(Montalcino)、ラディコーファニ(Radicofani)など、絵のように美しい町や村があります。
糸杉が立ち並ぶ美しい田園風景に、そこから要塞化された集落がほぼ円錐形の丘に聳える平らな白亜の平原は、多くの芸術家に影響を与え、その風景はルネサンス絵画から現代絵画などの芸術作品に数多く描かれています。
オルチャ渓谷は、その風景と歴史の特殊性もあり多くの観光客を魅了しています。
サン・クイーリコ・ドルチャ(San Quirico d'Orcia)やカスティリオーネ・ドルチャ(Castiglione d'Orcia)など小さな町が点在していて、美食と美味しいワインの愛好家にも愛されています。
また、バーニョ・ヴィニョニ(Bagno Vignoni)から湧き出る温泉もまた観光客を魅了している1つです。
オルチャ渓谷を横断する道は、中世の時代にローマやエルサレムへの主要な巡礼路して使われ、多くの巡礼者や商人たちが行き交っていた歴史ある道でもあります。
オルチャ渓谷は、巡礼の重要な通過点であり、そのルートは今でも有名なフランチジェナ通り(Via Francigena)に続いています。
ヨーロッパには数え切れない程の巡礼路が存在しています。
そんなオルチャ渓谷ですが、2004年にはユネスコ世界遺産にも登録されています。
オルチャ渓谷(ヴァル・ドルチャ):行き方
オルチャ渓谷は、レンタカーやツアーで行く方法が一番簡単に行くことができます。
日本人の奥様と、イタリア人の旦那様が夫婦で経営している旅行会社も存在するようなので、相談してみるといいかもしれません。
また、日本の旅行会社でもオプショナルツアーの取扱いがいくつもあるので、自力で行くことに不安がある方は、ツアーに申込む方法が一番安心です。
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オルチャ渓谷の最寄はシエナで、フィレンツェから直行バス(Tiemme SpA)で向かう方法が一番簡単です。
フィレンツェからシエナまでは、バスで約1時間半(フィレンツェ⇔シエナ)となっており、シエナからピエンツァ(シエナ⇔ピエンツァ)、モンタルチーノ(シエナ⇔モンタルチーノ)は同じくバスで1時間半ほどになっています。
ローマからもシエナまでの直行バス(MarinoBus)があり、約3時間10分ほどでシエナまで行けます。
日帰りよりも数日間使ってゆっくりトスカーナの田園風景を楽しむことをオススメします。
その他の町、サン・クイーリコ・ドルチャにはバスで1時間ほどで行けるのですが、カスティリオーネ・ドルチャとラディコファーニについては、公共交通機関を利用して向かうとかなり時間のロスとなるので、ツアーもしくはレンタカーなどで行くことをオススメします。
オルチャ渓谷(ヴァル・ドルチャ):観光
オルチャ渓谷の自然・文化・芸術公園は、渓谷に存在する自然と芸術の資産を保護する為につくられました。
ピエンツァ、モンタルチーノ、カスティリオーネ・ドルチャ、サン・クイーリコ・ドルチャ、ラディコファーニの5つの町がユネスコによって文化的景観として世界遺産に登録されています。
田園地帯と丘はオルチャ渓谷のアイコンとなっていて、耕作地やブドウ畑、未舗装の道路、糸杉と絡み合う魅力的な絶景は人間と自然の融合を物語っています。
それぞれの町から、それぞれ違ったオルチャ渓谷を楽しめます。
オルチャ渓谷観光:ピエンツァ(Pienza)
シエナの南東53kmにあるオルチャ渓谷を見下ろす丘の上にあるピエンツァは、中世にコルシニャーノ(Corsignano)という名前でできた町です。
1459年2月、マントヴァ(Mantova)に向かったローマ教皇「ピウス2世(Papa Pio II)」は、故郷であるコルシニャーノに立ち寄りました。
立ち寄ったコルシニャーノでピウス2世はルネサンス様式の都市コンセプトを実現すべく、コルシニャーノ再建のプロジェクトを立ち上げました。
旧市街は、ルネサンス建築家が設計に携わり、当時の理想の都市を実現させようと、初期ルネサンスの彫刻家であり建築家である「ベルナルド・ロッセリーノ(Bernard Rossellino)」に委託され、1462年に約40の建物の改修及び建設が行われ、コルシニャーノの町は「ピエンツァ」という名前に変更されたのが始まりです。
ピエンツァの中心には「ピウス2世広場(Piazza Pio II)」として知られる台形型の広場が造られました。
そして、広場周辺に「サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂(Duomo di Santa Maria Assunta)」「ピッコロミニ宮殿(Palazzo Piccolomini)」「ボルジア宮殿(Palazzo Borgia)」などが建てられました。
1996年には、ピエンツァの町はユネスコ世界遺産に登録されています。
約2時間ほどあれば、ピエンツァの町を楽しむことができます。
丘の上にたたずむピエンツァの町から見える雄大なオルチャ渓谷のパノラマを見逃さないでください!
ユネスコ世界遺産に登録されているピエンツァの町の中心部に位置する「ピウス2世広場」は、ピエンツァの町を「ルネッサンスの理想的な都市」にしようと、多大な貢献をした教皇ピウス2世に捧げられた広場です。
ピウス2世広場周辺にある歴史的建造物は、そのほとんど全てが1459~1462年の間に初期ルネサンスの彫刻家であり建築家のベルナルド・ロッセリーノ(Bernardo Rossellino)によって造られました。
広場のすぐ横にあるサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂(Cattedrale dell'Assunta)には、ルネサンス期のシエナ派の画家イル・ヴェッキエッタ(Il Vecchietta)による「聖母の被昇天(Assunzione di Maria)」や子どもと一緒に即位した聖母などの貴重な絵画があります。
広場の左側には、教皇ピウス2世からロドリーゴ・ボルジア枢機卿(Rodrigo Borgia)、後の教皇アレクサンデル6世に寄贈された「ボルジア宮殿(Palazzo Borgia)」があり、現在は司教区博物館となっています。
広場の前には、時計付きの低くて大きな塔のある市庁舎もあります。
市庁舎内部には、聖母と子どもが描かれたシエナ派の貴重なフレスコ画が保存されています。
ピッコロミニ宮殿は、15世紀半ばにフィレンツェの建築家ベルナルド・ロッセリーノによって、教皇ピウス2世の夏に過ごす邸宅として建てられました。
この宮殿は、慈善団体に寄贈した最後の子孫が亡くなるまで、家族によって所有されていて、現在は宮殿の1階部分は美術館として一般公開されています。
この美術館には、様々な絵画の展示がありますが、イタリアの反マニエリス画家であったベンチュラ・サリンベニ(Ventura Salimbeni)によるピウス2世ピッコロミニの肖像画が際立っているホールにも訪れることができます。
また、ピウス2世が使用していた寝室や、15世紀に使用されていた暖炉や天井、15世紀から18世紀の家具、絵画、彫刻、フランダースのタペストリーも展示されています。
ピッコロミニ宮殿の本来の建築テーマは、自然や風景との調和です。
宮殿の裏側からは、オルチャ渓谷とアミアータ山の素晴らしい景色を楽しむことができるようになっています。
オルチャ渓谷の中心部、ピエンツァには、本物の美しさを今なお維持し続けている古代の村「モンティッキエッロ」があります。
既にエトルリアとローマの時代に存在したこの小さな村は、ピエンツァの中心部とコミュニティを結ぶ道路の役目をしていました。
モンティッキエッロは、中世の要塞の特徴をそのまま維持していて、ピエンツァにあるルネサンスの枠組みとは明らかに対照的な場所です。
頑丈な城壁と丘の上に立つ砦の塔は、シエナ共和国の支配下にあり、シエナの防衛システムの防波堤であった村の過去を象徴しています。
1559年のシエナ共和国の崩壊と共に、モンティッキエッロはメディチ家の支配下に置かれ、シエナの防波堤としてそれまで持っていた役割の重要性を失うこととなりました。
その後、1777年にピエンツァの管轄の一部となったのです。
聖レオナルドとクリストフォロの教会(Pieve dei Santi Leonardo e Cristoforo a Monticchiello)は、14世紀から15世紀まで遡るシエナ派の多くのフレスコ画が保存されています。
そして、この村で記述しておくべきことは、モンティッキエッロと住民で作られる人気劇場「テアトロ・ポヴェロ(Teatro Povero)」です。
この劇場は、ポーランドの劇場監督であるイェジー・グロトフスキ(Jerzy Grotowski)が作成したもので、村人が経済的破滅、ネオファシズムの高まり、減少する未来の世代などの壊滅的な打撃を過去・現在の映像と共に表現しているのです。
この演劇は、中産階級の断面図であり、地元の歴史からインスピレーションを得て、現代の課題などを問いかける内容となっています。
オルチャ渓谷観光:モンタルチーノ(Montalcino)
シエナの南南東約32km、ピエンツァのから西へ約16kmの所にあるモルタルチーノは、有名なワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(Brunello di Montalcino)」が生まれる場所です。
モンタルチーノは、皇帝ルートヴィヒ1世(Ludovico il Pio)がサンタンティモ修道院(Abbazia di Sant'Antimo)の修道院長に送った文書(814年12月29日付け)で初めて言及されているため、エトルリア時代(Etruria:紀元前8~1世紀頃)には、既に人が住んでいたとされています。
何世紀にも渡って、地名を変えて現在のモンタルチーノとして存在していて、町の建築物は主に14~15世紀のロマネスク・ゴシック様式でできています。
モンタルチーノの風景は、丘陵地帯に広がっています。
モンタルチーノの町は標高564mで、一部の地域では標高600mを超えている地域もあります。
標高の高い場所からは、オンブローネ渓谷(Valle dell'Ombrone)やアルビア渓谷(Valle dell'Arbia)、オルチャ渓谷のオリーブ園やブドウ畑などのトスカーナ地方の雄大な眺めを一望することができます。
トスカーナらしい田園風景を楽しみたい場合はモンタルチーノは見逃さないでください!
モンタルチーノから数kmほど離れたカステルヌオーヴォ・デッラバテ(Castelnuovo dell'Abate)には、トスカーナで最も美しいロマネスク様式の1つとされるサンタンティモ修道院があります。
サンタンティモ修道院は、フランスとロンバート人(Longobardi:北イタリアのゲルマン族)をモデルとして造られました。
伝説によれば、修道院はフランク王にしてローマ皇帝であったカール1世(Charlemagne)が巡礼路であるフランチェーナ街道に沿って側近と共にローマから戻った際に設立されました。
現在の修道院は、修道院内にある祭壇に刻まれた碑文から、1118年頃のものとされています。
修道院の構造は、カステルヌオーヴォ・デッラバテの採石場から集められた、白色または半透明の鉱物であるアラバスターのトラバーチンでできています。
この石は、様々な季節の空と周辺の田園地帯の色の変化に応じて、絶えず変化する輝きの効果を与えています。
修道院の正面は、垂れ下がったアーチのある王冠と、中央に9世紀のロマネスク様式の表玄関が特徴です。
鐘楼はロンバードロマネスク様式で、東側には女性の頭部を持つ翼のある雄牛や、4人の伝道者のシンボルに囲まれた聖母と子どもが彫刻されています。
内部には、十字型の柱と交互になっている柱で分割された3つの身廊があり、植物や凶暴な獣の形をした装飾がされています。
そして、セデス・サピエンティアエ(Sedes Sapientiae:聖母像の中世の称号)の図像に聖母子像を描いたウンブリア派(Umbria)の木製の像、13世紀の木製の十字架、シエナの墓場からキリストが昇るフレスコ画のルネット(壁面の半円形の部分)が保存されています。
モンタルチーノの丘の上の町にある、とても印象的な五角形の構造を持ったモンタルチーノ要塞があります。
城壁は13世紀に建てられ、1361年にモンタルチーノの一番高い場所に建てられた要塞は、シエナの建築家「ミーノ・フォレージ(Mino Foresi)」と「ドメニコ・ディ・フェオ(Domenico di Feo)」によって設計されました。
オルチャ渓谷を横断しているフランチジェナ通りは、フランスとローマの巡礼ルートに近いことからとても重要な場所とされ、シエナとフィレンツェの領土紛争に度々巻き込まれることになります。
16世紀半ば頃、フィレンツェの実質的支配者であったメディチ家(Casa de' Medici)の征服に対する最後の防波堤となったのがモンタルチーノでした。
このモンタルチーノ要塞には、サント・マティーニの砦、サン・ジョヴァンニの塔、現在は要塞の礼拝堂として機能している古代の大聖堂など、既存の建造物がいくつか組み込まれています。
要塞の歴史は何世紀にも渡って続いており、今日では1940年代にジョヴァンニ・コロンビーニ(Giovanni Colombini)の委託によって修復され、イベントなどの開催をすることで文化的な機能を果たし、訪れた人々にオルチャ渓谷の素晴らしい景色を提供しています。
モンタルチーノの歴史的中心部に聳え立つモンタルチーノ大聖堂。
大聖堂となる教会は、同じ名前のロマネスク様式の教区教会がかつて存在した場所に1000年頃建てられ、1462年にピウス2世によって大聖堂となりました。
建物の大部分が遠くから際立っており、モンタルチーノのランドマークになっています。
大聖堂の外観は、キリスト教建築でよく見られるティンパヌムと呼ばれる建物入口上部の壁画のない高いプロナオス(Pronaos:ギリシャ神殿やローマ神殿などで見られる入口)が特徴的な正面玄関が特徴的です。
モンタルチーノ大聖堂の内部には、注目すべき芸術作品が数多く保管されています。
シエナ出身の画家フランチェスコ・ヴァンニ(Francesco Vanni)による、イエス・キリストと父なる神との「無原罪の御宿り(Immacolata Concezione)」の絵画が展示されています。
正面の祭壇には、フランチェスコ・ヴァンニによる初期の作品である砂漠の洗礼者聖ヨハネ(San Giovanni nel Deserto)を描いた帆布が飾られています。
11世紀に建てられたモンタルチーノ大聖堂は、その後の地震や劣化によって古びてきたため、19世紀初頭にシエナ出身のアゴスティーノ・ファンタスティーチ(Agostino Fantastici)によって設計され、再建され、現在のモンタルチーノ大聖堂となっています。
オルチャ渓谷観光:カスティリオーネ・ドルチャ(Castiglione d’Orcia)
オルチャ渓谷の中心部に位置し、ローマ街道の1つであるカッシア街道(Via Cassia)から少し離れた所にあるアミアータ山の北側の斜面にある丘の上にあります。
アミアータ山とオルチャ渓谷を一望できる町なのです。
カスティリオーネ・ドルチャには、ロッカ・ドルチャ(Rocca d'Orcia)、カンピーリア・ドルチャ(Campiglia d'Orcia)、ヴィーヴォ・ドルチャ(Vivo d'Orcia)、リーパ・ドルチャ(Ripa d'Orcia)など中世の中心部、バーニ・サン・フィリッポ(Bagni San Filippo)の温泉街も含まれています。
オルチャ渓谷の温泉水は、溶けた雨水と雪が地面に浸透し、アミアータ山で温まり貴重なミネラルを閉じ込めてから湧き出ています。
バーニ・サン・フィリッポは、様々な泉の温泉水を集めて形成された多数の温泉プールを見ることができます。
また、バーニ・サン・フィリッポから400mほどの場所には、石灰石でできた「白いクジラ(La Balena Bianca)」と呼ばれる場所があります。
オルチャ渓谷で、フランチジェナ通りを見下ろせる絶景のポイントです。
この要塞は、11~12世紀頃から存在するお城であり、シエナ共和国とシエナの名家サリンベニ家(Salimbeni)の間で長い間紛争の的となっている場所です。
テンテナーノ要塞の建設以来、この要塞は北ヨーロッパとローマを結ぶ中世の重要な道路であるフランチジェナ通りの防衛・研究などを含むあらゆる目的の重要な基地として機能していました。
1251年にテンテナーノ要塞の大規模な改修を行ったシエナ共和国(Repubblica di Siena)に譲渡されましたが、1274年にモンタペルティの戦い(Battaglia di Montaperti)の勝利軍に支払う為の借金を返済する為にサリンベニ家に譲渡したのです。
その後、サリンベニ家の所有物となっていたのですが、シエナ側は諦めず長期間の返還闘争が14世紀の間続いていたそうです。
今日では、テンテナーノ要塞で美術展が開催されるなど、観光客が訪れることができるようになっています。
テンテナーノ要塞の足元には、ユネスコ世界遺産に登録されているオルチャ渓谷が広がっています。
要塞のテラスから見る絶景は見事なものです!!
オルチャ渓谷のアミアータ山の森の中にある、バーニ・サン・フィリッポは、トスカーナで最も美しいスパリゾートの1つとして知られています。
また、白いクジラと名づけられた炭酸カルシウムと硫黄が鍾乳化した結晶でできた堆積物を作り出した温泉水の滝が有名です。
とても美しく、この場所で映画の撮影したり、プロの写真家や映像関係者を魅了しています。
この温泉は、エトルリア人やローマ人の時代から治療に使用されて北と言われています。
サン・フィリッポ温泉街は18世紀頃から存在していて、ホテルや治療用温泉、ウェルネスセンター、壮大なフォッソ・ビアンコ(Fosso Bianco)の景色を臨む温泉プールがあります。
硫黄、カルシウム、マグネシウムが豊富な温泉水と、静かで人里離れた環境は、心身ともに癒される場所となっています。
バーニ・サン・フィリッポには、温泉、鉱泉、あるいは地下水中より生じた石灰質化学沈殿岩で、緻密、多孔質、縞状など、多様な構造をもつトラバーチンの岩でできた、非常に珍しい洞窟礼拝堂があります。
サン・フィリッポ・ベニジ洞窟は、13世紀にこの場所に避難していた聖フィリッポ・ベニジ(Filippo Benizi)にちなんでつけられました。
ローマ教皇クレメンス4世(Clemente IV)の死後、教皇庁への任命を知ったフィリッポは、ローマ教皇の名誉と責任を拒否しアミアータ山に約3ヵ月間も隠れていたそうです。
映画「ローマ法王の休日」を思い出しました(笑)
この地に洞窟を見つけたフィリッポは、この場所に奇跡的に癒しの水源を見つけ、それが温泉となったと、当時の聖人伝に記されているそうです。
このようなことから、バーニ・サン・フィリッポはフィリッポを歓迎し、この洞窟を礼拝堂にしたそうです。
洞窟の礼拝堂は、今でも良く保存されていて、祭壇の上には聖フィリッポの黒い木製の胸像が保存されています。
オルチャ渓谷観光:サン・クイーリコ・ドルチャ(San Quirico d’Orcia)
フィレンツェから約35kmの場所にあるサン・クイーリコ・ドルチャ。
サン・クイーリコ・ドルチャからみるオルチャ渓谷の美しさは必見です。
4月~5月にかけてオルチャ渓谷は色とりどりの姿を魅せてくれます。
牧草地で育つ野性のマスタードの黄色、春を告げる色鮮やかなチューリップ、飼料を得る為に栽培されているイガマメ(Lupinella)畑のピンク。
そしてローズヒップの香りと、手付かずの野原に咲く蘭の花など、美しい光景を見ることができます。
この景色を堪能したい場合は、カップチーニ門(Porta ai Cappuccini)からピエンツァ方向に田園地帯を横断する約7kmのウォーキングコースがあり、標識があるので標識に沿って散策してみましょう。
また周辺には、古代ローマ時代から使用されている温泉施設「バーニョ・ヴィニョーニ(Bagno Vignoni)」や、トスカーナの写真集などでは必ず出てくる「ヴィタレータ礼拝堂(Cappella della Madonna di Vitaleta)」もあります。
色とりどりのオルチャ渓谷を楽しみたい方は、4月か5月がオススメです。
古代エトルリア人の自然浴場だった「バーニョ・ヴィニョーニ」。
ユネスコ世界遺産に登録されているオルチャ渓谷の中心部にあるバーニョ・ヴィニョーニの村は、古代から知られている温泉水が湧き出る場所として発展してきました。
バーニョ・ヴィニョーニの温泉水は、約49℃の温度で湧き出ていて、ローマ時代には既にこの温泉水の治癒力が高く評価されており、1170年からフリードリヒ1世(Federico Barbarossa:神聖ローマ皇帝)が温泉療法として利用していました。
また、ピウス2世、シエナのカタリナ(Santa Caterina da Siena)、ロレンツォ・デ・メディチ(Lorenzo il Magnifico)など、イタリア史で著名な人々も頻繁に訪れたと言われています。
温泉プールをゆっくりと包み込む太陽の沈む様子と水蒸気の上昇は、時代を超越した光景です。
現在では、古代から存在するこの温泉プールに浸かることはできませんが、近くにあるウェルネスセンター・テルメ(Centro Benessere Le Terme)で温泉や、スパ設備を楽しむことができます。
バーニョ・ヴィニョーニは、ピエンツァとモンタルチーノの間に位置しており、オルチャ渓谷全体とアミアータ山にある数々の公園を訪れるには、最適な出発点でもあります。
サン・クイーリコ・ドルチャの丘にポツンと佇む「ヴィタレータ礼拝堂」。
ヴィタレータ礼拝堂は、サン・クイーリコ・ドルチャからピエンツァに続く道のオルチャ渓谷の丘にあり、ユネスコ世界遺産に登録されているこの素晴らしいエリアの中でも最も美しく素晴らしい場所の1つです。
2つのヒノキの間に建つ小さな礼拝堂は、古代ルネッサンス後期が起源と言われています。
現在の礼拝堂は、地震などの損傷から19世紀にイタリアの建築家であるジュゼッペ・パルティーニ(Giuseppe Partini)によって修復され、表玄関のロゼット型の窓が特徴的な礼拝堂になっています。
ヴィタレータ礼拝堂はトスカーナで最も写真に撮られている場所の1つで、オルチャ渓谷の曲がりくねった丘と周辺の田園地帯を際立たせています。
ヴィタレータ礼拝堂には、車で行くか、トレッキングコースを辿って行くことができます。
車で行くには、サン・クイーリコ・ドルチャとピエンツァを結ぶ146号線(Strada Provinciale 146 di Chianciano)に乗り、礼拝堂を示す標識が見えたら曲がります。
ここから短い未舗装の道路を進み、無料の駐車場(Parcheggio per Cappella della Madonna di Vitaleta)があるのでそこで車を駐車して約1kmほど歩くと礼拝堂に到着します。
歩くことが苦でない場合は、ピエンツァから約4.2kmほどで、未舗装の道を歩いて礼拝堂まで行くこともできます。
体力が許すのであれば、ピエンツァから歩いて礼拝堂に行く方法が、間違いなく一番最高の旅の思い出になると思います。
16世紀の古典的で保存状態の良いイタリア庭園と言われている「ホルティ・レオニーニ」。
ホルティ・レオニーニは、サン・クイーリコ・ドルチャの中心部にある庭園で、フランチジェナ通りにある村の城壁の中にあります。
フランチェスコ1世・デ・メディチ(Francesco I de' Medici)がディオメーデ・レオーニ(Diomede Leoni)に寄贈した土地に、1581年頃に建てられたホルティ・レオニーニは、所有者にちなんで名付けられました。
この庭園は、現在まで建築当時の構造を維持していて、古典的なイタリア庭園の保存状態の良い例とされています。
庭園は2つに分かれていて、小さなレンガの中庭からアクセスできるひし形のエリアは、壁と綺麗に剪定された樫の木(Quercus ilex:セイヨウヒイラギガシ)で囲まれています。
庭園の中央には1688年にイタリアの彫刻家であったバルトロメオ・マッズーリ(Bartolomeo Mazzuoli)によって彫られた、コジモ3世・デ・メディチ(Cosimo III de' Medici)の像が設置されています。
オルチャ渓谷観光:ラディコファーニ(Radicofani)
フィレンツェから南東約110km、シエナの南東約60kmの場所にある、ラディコファーニ。
オルチャ渓谷とパーリャ渓谷(Val di Paglia)の間に位置するラディコーファニは、中世の要塞が残る歴史的風景を楽しめる町です。
何世紀にも渡って、北ヨーロッパとローマを結ぶ巡礼路である「フランチジェナ街道(Via Francigena)」の重要な場所があり、様々なモニュメントや教会などトスカーナの中でも必見の場所です。
ローマ教皇ハドリアヌス4世(Papa Adriano IV)が、12世紀中頃に建造させた要塞の下にラディコーファニの町があります。
ラディコーファニの見所は、カロリング建築のラディコーファニ要塞(Fortezza di Radicofani)で、896mの玄武岩の上にありラディコーファニで一番高い場所からラディコーファニの町を見下ろすことができます。
また、ロマネスク様式のサンピエトロ教会(Chiesa di San Pietro)も素晴らしい歴史的建築物なので必見です。
ラディコーファニ要塞は、1000年以上にわたってラディコーファニの村の上に存在してきました。
896mも玄武岩の崖の上に建てられ、973年に初めて言及されて以来、オルチャ渓谷、アミアータ山、チェトーナ山(Monte Cetona)の領土全体を支配してきました。
9世紀に建てたのはカロリング朝(Carolingi)であったことが知られていますが、フランスとローマの巡礼ルートに近いことからとても重要な場所とされ、様々な勢力によって領土紛争に度々巻き込まれることになります。
オルチャ渓谷の有名な山賊のギーノ・ディ・タッコ(Ghino di Tacco)は、1297年に要塞を所有し、その後数年間、ギーノ・ディ・タッコの襲撃の拠点となりました。
この要塞を巡って登場するどんな偉人よりも、ファンタジー要素を含むキャラクターとの結びつきが伝説として語られ、偉大な歴史が絡み合っています。
ギーノ・ディ・タッコの伝説は、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)とデカメロンの作家ジョヴァンニ・ボッカッチョ(Giovanni Boccaccio)によっても語られています。
その後、15世紀終盤にこの要塞を使用して共和国を守ることができたのはシエナでした。
現在の要塞には、エトルリア時代から16世紀までの考古学的遺産物も保管されているカセロ博物館(Museo del Cassero)があり、要塞とその修復の長い歴史が展示されています。
さらに、地下通路、射撃場、城壁などを訪れたり、火薬、蒸気力、スプリングなどを利用して、狭い場所から航空機を発進させる中世のカタパルトが未だ正常に機能していることを観ることができます。
ラディコーファニ要塞のテラスに上って、高さ1000mからの景色は壮観です。
最後に…
インスタグラムなどのSNSでは、日本ではあまり知られていない世界の絶景を目にすることが多々ありますよね。
場所の記載があればすぐに調べることもできるのですが、場所の記載がない、日本ではあまり知られていない&情報がないなどの絶景が数多く存在します。
そんな絶景を私が知っている限りの情報にはなりますが、これからも少しずつ紹介していければと思います。
素敵な絶景に出会えますように♡