未解決の複雑さに迫る: ソウルからのDMZ日帰りツアー【韓国】

地球上で最も要塞化された場所の一つである朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)は、韓国と北朝鮮の国境周辺の地域で、軍事境界線となっている国境から南北それぞれ2kmに渡って広がっています。

 

地球上で最も厳重に警備されている場所の一つですが、内部はほとんど開発されておらず、人もほとんどいない状態で、両国に起こった悲惨な歴史を物語っています。

 

DMZは、個人でも訪れることは可能ですが、ツアーに参加しないと入れない区域などもあるため、ソウルからツアーに参加することがお薦めです。

 

この記事では、DMZを訪れる際に知っておくべきことを紹介したいと思います。

 

 

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未解決の複雑さに迫る: ソウルからのDMZ日帰りツアー

DMZは、多くの方々が生まれた頃から存在し続けているものですが、世界の歴史上では非常に新しいものになっています。

 

DMZの歴史は、第二次世界大戦の終わりに、敗戦した日本が支配していた朝鮮半島を離れ、その半島をどうするかという決断をくださなければならなかった時期に始まります。

 

戦争終結後、アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国の間に対立構造が作られ、大国間の残存する緊張に対処するため、当時(1945年)の「解決策」として、アメリカとソ連が妥協し、北緯38度線に沿って朝鮮半島を一時的に分割する事に合意しました。

 

問題は、その後何をすべきかで両者が合意に至らず、1948年に韓国と北朝鮮という二つの新しい国が設立され、両国ともが半島全体の領有を主張、この不合理な国境は朝鮮戦争を引き起こしたのです。

 

1950年6月に北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が始まり、1953年7月に板門店(판문점)での停戦協定が結ばれるまで、戦争が激化しました。

 

朝鮮戦争休戦協定の一環として、両国間の新たな国境が定められ、地理的な輪郭に沿って、その長さ東西248km、幅4kmのDMZ、つまり朝鮮半島非武装地帯が誕生したのです。

 

この北緯38度線から双方の国側に2kmずつの非武装地帯には、両国ともに軍事施設を置くことができないエリアになっています。

 

このエリアには、200万個以上の地雷が埋め込まれていて、DMZには有刺鉄線のフェンスと見張りの兵士が立ち、一部エリアを除いて立ち入りが厳しく制限されています。

 

DMZ内は、いくつかの小さな集落と公的な建物を除いて開発が進んでおらず、休戦協定から人が介入しなかったことで、かつて激戦地だった一帯の自然は自ずと回復し、皮肉なことに、今では国内外の生態学者が目を見張るほどの自然や生物豊かなエリアとなっています。

 

ここに住む人々は、この分断の後、多くの家族が離散し、仕事が失われ、生活が一変しました。

 

もし突然、日本が東西に分断され、自分の住む県の入国が許可されなくなった場合、私たちにとって何が変わるか考えると怖くなりませんか。

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DMZ:見るべきスポット

 

DMZに個人で訪れる場合でも、ソウルからツアーに参加する場合でも、同じものをスポットを訪れることが可能です。

 

最終的には全ての訪問客が公式バスに乗って管理区域に向かうからです。

 

実際に観覧できる場所はかなり限られていますが、それぞれが国境沿いの歴史と現状の異なる側面を現しています。

 

臨津閣(임진각)

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DMZを訪れるツアーはどのツアーも民間人出入統制区域の端にある臨津閣から始まります。

この場所に来るまでに通過する場所は全どこも普通の韓国ですが、この先は全て厳重に警備された民間人統制区域内になり、DMZの実際の境界線の前の緩衝地帯になっています。

 

臨津閣一帯は朝鮮戦争で激戦地となった場所であり、朝鮮戦争が1953年7月に休戦協定締結後、共産軍の捕虜となっていた12,773名の韓国軍と国連軍が南側に帰還する際に渡った「自由の端(자유의 다리)」があります。

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臨津閣は、朝鮮分断により故郷に帰ることができず、家族や友人と離れ離れになった南北双方の失郷民を慰めるために1972年に建設されました。

 

現在では、平和ヌリ公園(평화누리공원)、DMZゴンドラ、6・25戦争拉北者記念館(6·25전쟁납북자기념관)、遊園地などの施設ができ大規模な観光地となっています。

 

軍事境界線の南方に設定された民間人出入統制区域の外にあり、特別な手続なしに一般市民が北朝鮮に最も近づくことができる場所であるため、離散家族が北朝鮮にいる家族を思って訪れる場所でもあります。

 

臨津閣のメインスポットは、朝鮮戦争休戦協定の一環として1953年に建設され、朝鮮戦争終結時に捕虜の交換に使用された自由の橋周辺にあります。

ここでは、1950年に戦争前に国境を越えた最後の列車である蒸気機関車も展示されています。

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また、朝鮮戦争で戦った方々に捧げられた記念碑が数多くあり、平和を祈るために毎日正午に鳴らされる平和の鐘もあります。

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望拝壇 離散家族の祈りの場所であり、望拝壇の裏の石絵には、
祖国に帰れない方のために北朝鮮の観光地が描かれている
望拝壇の向こう側7km先は北朝鮮
自由の橋 臨津閣観光のメインスポット
朝鮮戦争の休戦協定締結後、捕虜が橋を渡って南に帰還する際、
「自由万歳」と叫んだことからこの名前が付いた
京義線長湍駅の
蒸気機関車
朝鮮戦争以来、半世紀以上も非武装地帯に放置されていた分断の象徴物
平和の鐘 朝鮮戦争で使われた武器の一部であるヘルメットや銃を溶かして作られている
トッケ橋 戦争の爆撃で破壊され残った橋脚に銃撃の弾痕が残っている
朝鮮半島が統一される日にこの橋脚は撤去される予定

 

MEMO

臨津閣には多くの観光スポットがあり、ツアーのフリータイム内で全てを周ることは不可能なため、臨津閣をじっくり観光したい場合は、個人で訪問することをお薦めします。

※臨津閣はDMZ外なのでツアー参加なしで観光可能

 

注意

民間人が立ち入れる区域ではあるのですが、民間人統制区域内部や軍施設に無断で立ち入ったりカメラを向けることは禁止されており、見つかった場合は銃を向けられることもあるので注意してください。

 

都羅展望台(도라전망대)

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臨津閣を観光後、統一大橋(통일대교)の北側にある検問所を通過すると、非武装地帯に接する民間人出入統制区域:DMZエリアに入ります。

 

この検問所で一人ずつパスポートの確認が行われます。

 

MEMO

統一大橋から検問所までの直線は、Netflixで世界190ヵ国で配信され世界的なヒットをした韓国ドラマ「愛の不時着」の有名なシーンのロケ地なので、ファンの方は必見のスポットです。

 

バスは止まらず車窓からのみの観光になります。

 

検問所を通過し、訪れる都羅展望台は大韓国軍管理下の展望台になっています。

 

この展望台からは、人の侵入が厳しく制限され、野生生物の安息の地となっている静かな非武装地帯と北朝鮮を真正面から見ることができます。

 

展望台の真下には軍事境界線の南方限界線があり、かつて南北の歩みの象徴となっていた韓国人と北朝鮮人が共同で働く場所であった開城工業団地(개성공업지구)や、1953年7月に停戦協定が行われた板門店、金日成の銅像、2020年6月に北朝鮮が爆破しそのままになっている北朝鮮側の事実上の韓国大使館としての機能を持っていた南北連絡事務所、北朝鮮によるプロパガンダの村などが一望できます。

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近くで目にすることができるものの中には、北朝鮮の南部の都市である開城特別市(개성특별시)、そして優位性を誇示するために高く建てられた巨大な国旗などがあります。

 

開城は、10世紀から14世紀まで朝鮮半島に存在した高麗の首都であり、当時は「開京」と表記されていました。

 

展望エリアには、自由に利用できる双眼鏡が多数設置されていて、北朝鮮の建物や集落を見ることができます。

 

第3トンネル(제3땅굴)

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1974年11月15日以来、北朝鮮が掘った非武装地帯を横切る4本のトンネルを発見していて、ほとんどのDMZツアーはそのトンネルの一つである第3トンネルに入る体験が組み込まれています。

 

各トンネルは北朝鮮が軍事目的で掘ったとされているのですが、北朝鮮は石炭採掘用であると主張しているそうです。

ただ、このトンネル内で石炭は発見されてなく、壁の一部は最も炭化度の進んだ石炭である無煙炭のように見えるように黒く塗られていたということです。

 

最初のトンネルは、1974年11月15日に韓国軍のパトロール隊が地面から蒸気が上がっているのを見つけて発見され、トンネル内の探査中に北朝鮮の爆破装置によって国連軍・韓国軍の兵士数名が死傷しています。

 

2つ目は1975年3月19日、3つ目は1978年10月17日、4つ目は1990年3月3日と現時点で4つのトンネルが見つかっています。

 

現在、南からの訪問者はガイド付きツアーで2・3・4番目のトンネルを訪れることができます。

 

ほとんどのDMZツアーで訪れる第3トンネルは、北朝鮮の脱北者からの情報提供によって発見されたもので、長さ約1,600m、深さ約73mにあります。

 

公式発表が正式であれば、1978年10月に第3トンネルが発見されたとき、まだ掘削中であり、この時点で北朝鮮は韓国領土に435m入り込んだ状態で1.6kmを掘っていたことになります。

 

計画は、恐らくソウルへの奇襲攻撃を目的としたものだったとみられ、1時間当たり約3万人の兵士が侵入できると推定されています。

 

トンネル内では、地下75mの急な坂を下り、その後トンネルを250mほど散策して引き返すようになっていて、かなり体力を使いますが、このトンネル内が北朝鮮に最も近付く場所であり、DMZ内の滞在ということで、間違いなくDMZツアーのハイライトとなります。

 

定かではありませんが、北朝鮮はソウルへの奇襲攻撃のために合計10~20ものトンネルを掘っているとされていて、未だ見つかっていないトンネルを韓国は探査し続けているのです。

 

注意

トンネル内はカメラや携帯電話の持込が禁止となっていて、第3トンネル入口で厳重チェックがあります。

 

統一情報化村(통일정보화마을)

統一村

 

韓国と北朝鮮の間に位置する板門店の軍事境界線から約500mほど韓国側にある統一情報化村(正式名称は台城洞(대성동))は、民間人統制区域内であり、国連軍が管理していて原則として居住や立ち入りはできません。

ただ、朝鮮戦争休戦協定で南北双方ともにDMZ内に一ヶ所だけ村を残せることになっていて、台城洞はこれにより残され、南側のDMZ内で唯一民間人が居住している場所になっています。

 

統一村は、休戦当時の直径子孫だけが居住することが許されていて、婿養子は可能であるが、女性に関しては村外の人と婚姻すると居住資格を失い、年間8ヶ月以上村内に居住することが求められていて、満たない場合は居住資格が消滅するそうです。

 

2024年現在、村の住民は138人でそのほとんどが高齢者であり、農業を営んでいるそうです。

 

立地の特製上、生活には様々な制約があり、毎日世帯毎に人員チェックを受ける必要があり、夜間0時から5時までは外出が禁止されています。

軍事境界線付近で農作業をする際には軍の同行が必要で、2,3日前までに軍に作業時間を事前申告しなければなりません。

 

民間人出入統制区域内にあるため、住民や許可を受けた者、指定されたツアー参加者以外は域内に入ることができず、観光客は村内を散策することは禁止されていて、バス車内からの車窓見学になります。

 

軍事境界線を越えた先の北朝鮮側にも「平和の村」と名付けられた村、機井洞(기정동)があります。

 

北朝鮮は機井洞には約200名ほどが居住している村としていますが、韓国側はこの村は実際には数名程度の軍関係者しかおらず、南に対するプロパガンダのために作られた村であると主張しています。

 

北の農村政策が順調に進んでいると宣伝して、南からの亡命を促進する狙いがあるそう。

 

立ち並んだアパートには、人々が生活する気配が感じられず、電気なども決まった時間に一斉に点灯・消灯していると言われています。

 

観光客は、農産物直売所のみでの下車が許されていて、ここではDMZ内で栽培された名産のチャンダン豆(大豆)を使った加工品や、山菜ナムル、辛味スープの海鮮鍋メウンタンなどが食べられます。

 

チャンダン豆のアイスクリームが人気だそうです。

 

また、チャンダン豆を使用したチョコレートは、DMZ特産の大豆を使用し、パッケージもDMZ仕様なのでばら撒き土産に一押しです。

 

板門店(판문점)

ファイル:共同警備区域地図.svg

 

板門店は、朝鮮戦争停戦のためのDMZの軍事境界線上にある共同警備区域(JSA:Joint Security Area)の通称で、朝鮮戦争の休戦協定が締結された場所です。

 

板門店の共同警備区域敷地内では、南側の韓国軍を中心とする国連軍と、北側の朝鮮人民軍が境界線を隔てて顔を合わせ停戦協定遵守の監視を行っていて、70年以上に渡る朝鮮半島の南北分断を象徴する場所となっています。

 

韓国も北朝鮮も行政管轄権を持たない場所で、一般人の立ち入りは制限されていて、外国人は韓国政府認定のツアーでのみ訪れることができるようになっています。

 

◆ATTENTION◆

2024年時点、板門店ツアー休止中

 

1951年に板門店で朝鮮戦争(1950~1953年)の休戦会談が始まり、700回を超える会議を経て、1953年に休戦協定が締結され、3年に及ぶ朝鮮戦争が休戦となりました。

 

なお、実際に朝鮮戦争の協議が行われ、休戦協定が結ばれた会議場は、共同警備区域から北東へ1kmほど離れた場所であり、現在は朝鮮民主主義人民共和国平和博物館として保存されています。

現在「板門店」といわれている共同警備区域は、もとは捕虜交換業務を引き受けることになった中立国のインド軍の兵舎があった場所で、休戦協定締結後は、軍事停戦委員会が休戦状態を管理するため、軍事境界線上に共同警備区域を設定、国連軍側と共産軍側が警備と管理を共同で担当する事になりました。

 

こうして現在の「板門店」と呼ばれるエリアができ、離散家族の訪問団など南北の往来の通路や南北会談の場となりました。

 

ただ、休戦協定締結後、しばらくは共同警備区域となっていましたが、1976年に起きた「ポプラ事件」以降、軍事境界線を境に南側の地域は国連軍、北側の地域は共産軍が分離警備することとなりました。

 

2018年には韓国側の施設「平和の家(평화의 집)」で南北首脳会談が行われ、1953年の朝鮮戦争停戦後初めて北朝鮮の指導者が韓国領土に入りました。

その翌月には韓国大統領が北朝鮮側の施設である「統一閣(통일각)」を訪問、また2019年には韓国側の施設「自由の家(자유의 집)」にアメリカ大統領が訪問しています。

 

以降、韓国人の板門店見学が緩和されるなどの変化がありましたが、2019年のアフリカ豚熱や新型コロナウイルスの感染拡大によって立ち入りが禁止となりました。

2022年には見学ツアーが再開となったものの、2023年7月にアメリカ軍兵士が軍事境界線を越え北朝鮮へ亡命する事件が発生後、再び中止となり現在に至っています。

 

韓国、北朝鮮という国家が誕生して70年以上、南北分断の象徴である板門店は、政治や社会情勢に左右され、安全上の問題によりツアーが無期限に休止されたりしているのです。

 

都羅山駅(도라산역)

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韓国最北端の駅で、北朝鮮の平壌行き列車の始発駅として建設されました。

 

駅構内には、将来の南北鉄道連結の際に利用される予定の南北出入境管理事務所が設置されていて、保安検査台や出入境審査台、税関に加えて南北直通列車用のホームがあります。

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平壌行きの列車ホームの駅名標にはソウル及び平壌への距離が表記されています。

 

北朝鮮への往来が可能になった場合、韓国からユーラシア大陸の最西端であるポルトガルやイギリスまで鉄道で行けるようになることを示したルートマップがあり、シベリア鉄道や中国国鉄と直通運転するような世界地図も描かれています。

 

注意

軍事境界線に近いため、駅周辺の写真撮影は規制されていて、軍事境界線である北側方向の撮影は禁止されています。

 

キャンプ・グリーブス(캠프 그리브스)

臨津閣にかかる統一大橋を渡った先にある、旧米軍基地であるキャンプ・グリーブス(Camp Greaves)は、朝鮮戦争休戦協定後約50年間、米軍が駐屯し、2007年8月に韓国政府に返還されました。

 

将校宿舎、生活館、体育館など様々な軍施設がそのまま保存されていて、2013年に平和・安全保障・生態観察施設などに活用できるよう「安保体験施設」へと生まれ変わりました。

 

南北間の衝突を防ぐためにつくられた非武装地帯、DMZ南方限界線から僅か2kmの所にあり、民間人統制区域内初のユースホステルになっています。

 

2016年に大ヒットした韓国ドラマ「太陽の末裔」のロケ地にもなりました。

 

MEMO

ユースホステルは許可を得た団体のみ利用可能になっています。

公式サイト:DMZ 캠프그리브스 유스호스텔

 

DMZ:個人で訪問する方法

ツアーに参加せずにDMZを訪れることも可能ではあります。

 

注意

個人でいけるのは臨津閣までであり、公式のツアーを利用せずに民間人統制線を越えることはできません。

 

車で訪れるのであれば、とても簡単に臨津閣まで行く事ができます。

 

公共交通機関を利用する場合は、本数は少ないですがソウルから臨津閣にある臨津江駅(임진강역)まで電車で片道1時間半ほどで行くことができます。

 

こちらは本数が少ないため、事前に確認しましょう。

 

もう一つのルートはソウルから文山駅(문산역)まで電車で行き、そこからバスもしくはタクシーで向かうルートになっています。

 

バスの時刻表が曖昧でタクシーでも10分前後、₩10,000程度のため、タクシーをお薦めします。

 

臨津閣到着後は、自由の橋や記念碑など、その地域一帯を無料で観覧することが可能です。

 

ここから、DMZゴンドラに乗って民間人統制区域にあるキャンプ・グリーブスまでは簡単に行く事が可能です。

 

DMZゴンドラ料金

 一般(中学生以上~満65歳未満):₩11,000~

 子ども(満3歳~小学生):₩9,000~

 シニア(65歳以上):₩8,000~

 

 

DMZ内の観光スポットである都羅展望台や第3トンネルなどを訪れるために公式ツアーに参加するには、臨津閣の観光案内所の前にあるチケットオフィスでチケットを購入することができます。

 

ただ、チケットは先着順で販売されていて、ツアーバスがチケット販売開始前には到着しているため、早めに列に並ばないと、公式ツアーの参加できる時間枠まで長時間待たなければならなくなります。

 

そのため、費用は嵩みますが、ソウルからツアーに参加することをお薦めします。

 

DMZ:知っておくべき事

ガイド付きツアーに参加することで、DMZの歴史について多くを学ぶことができ、韓国の方々のこの場所について、朝鮮半島についての洞察を得ることができます。

 

DMZツアーでは、公式のDMZには実際には入ることはできず、ツアーで行くのは南側の安全な緩衝地帯である民間人統制地域になります。

 

また、北朝鮮を見ることはできますが、孤立主義の国に最も近い場所ではありますが、実際にはかなり離れた位置から双眼鏡を通して見ることになります。

 

注意

・パスポートチェックがあるので、必ずパスポートを持参しましょう。

・DMZの観光スポットは月曜日は閉鎖されているため、月曜日はツアーがありません。

・安全上の問題があれば、ツアーは直前でもキャンセルされます。

・ほとんどのツアーはソウルを早朝に出発します。これはツアー会社がDMZ内のチケットを事前予約することができず、現地調達となるためです。

・トンネル内はカメラや携帯電話の持込が禁止されているため、事前にロッカーを利用しましょう。第3トンネル入口付近で厳重チェックが入ります。

・トンネル内は非常に狭い箇所があるため、支給されるヘルメットを着用しましょう。

・トンネル内は夏場でもかなり冷え込んでいます。

・トンネル内にトイレがないため、トンネルに入る前にトイレを済ませておきましょう。

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最後に・・・

今日、私たちは韓国と北朝鮮を文化の全く異なる別々の国だと認識していますが、DMZを訪れると、この国境が引かれるまで両国は何世紀にも渡って統一されていたということを実感します。

 

DMZを訪れるツアーは、ソウルで最も人気のあるアクティビティの一つで、日帰りツアーに参加する価値は充分にあると思います。

 

DMZを訪れる理由として、一部の旅行客にとっては様々な観光地を訪れる感覚と何ら違わないものであるかもしれませんし、この場所にあるテーマパークは地元の人々でさえも、この場所をそのように見ていることを示唆しています。

 

或いは、本当の意味でまだ終わっていない戦争の最前線に行くことは冒険心からかもしれません。

 

朝鮮戦争や朝鮮半島の分断、そして解決策の可能性を巡る問題は非常に複雑で、DMZへの日帰り旅行だけで全てを知ることはできませんが、この歴史を少し知る良い機会になると思います。

 

朝鮮半島の統一が近い未来に可能かと考えた時に、それはとても難しく、非現実的にしか思えないのですが、この場所で平和の重要性を再認識することが大切だと思いました。

 

日本が突然東西に分断されたとしたら…あなたはどう思いますか?