サン・フェルミン祭(Fiesta de San Fermín):パンプローナで牛追い祭り【スペイン】

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サン・フェルミン祭(Fiesta de San Fermín)をご存知ですか?

 

「牛追い祭り」であれば、聞いたことがある方もいるかと思います。

 

日本人には牛追い祭りとして知られているサン・フェルミン祭は、スペイン北部のナバラ州(Navarra)の州都「パンプローナ(Pamplona)」で毎年7月6日から2週間開催されている、歴史のあるお祭です。

 

現在では、バレンシアの火祭り(Fallas de Valencia)、セビリアの春祭り(Feria de abril de Sevilla)と並んで、スペイン3大祭の一つとなっています。

 

この記事では、スペインを代表するお祭であるサン・フェルミン祭を紹介したいと思います。

 

 

File:לרוץ עם השוורים בפמפלונה.jpg

 

サン・フェルミン祭(Fiesta de San Fermín):パンプローナで牛追い祭り

サン・フェルミン祭は、スペイン北部ナバラの州都パンプローナで開催されるパンプローナの守護聖人聖フェルミン(San Fermín de Amiens)を称えるお祭です。

 

サン・フェルミン祭は、毎年7月6日の正午12時にパンプローナ市庁舎(Casa consistorial de Pamplona)のバルコニーから打ち上げられるロケット花火「チュピナゾ(Chupinazo)」の合図で始まり、7月15日の午前0時まで開催されます。


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サン・フェルミン祭で最も代表的な演目は、何と言っても「エンシエロ(El encierro)」と言われる牛追いでしょう。

 

参加者である人間の後ろをエンシエロ後に闘牛で戦う6頭の雄牛と、飼いならされた普通の雄牛6頭に終われる状態で、849mの決まったルートに沿ってひたすら走ります。

 

エンシエロは、7月7~14日までの毎朝午前8時にスタートして、3分程度のイベントです。

 

牛追いというから、てっきり牛を追うのだと思ってた方、牛に人間が追われるのです(笑)

 

その他にも様々なイベントがあり、パンプローナの町はこの2週間あらゆる場所がお祭り騒ぎとなっています。

 

サン・フェルミン祭:起源

サン・フェルミン祭りの起源は数世紀前まで遡り、当初はパンプローナの守護聖人である聖フェルミンを称える宗教儀式でしたが、アメリカ人作家アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)の著書「日はまた昇る(The Sun Also Rises)」を通じて世界的に知れ渡るようになり、現在では人口28万人の町にこの時期は毎年100万人以上の観光客が訪れています。

 

 

サン・フェルミンは、3世紀のパンプローナ首長であったローマ人の息子で、パンプローナを訪れていたローマの宣教師サン・サトゥルニーノ(Saturnino de Tolosa)によりサン・フェルミンはキリスト教に改宗させられました。

 

その後、サン・フェルミンは、フランスのトゥールーズ(Toulouse)に行き、24歳で司教の博士号を取得、スペインに戻りキリスト教の布教を始めました。

 

再びサン・フェルミンはフランスに戻り、アキテーヌ(Aquitaine)、オーベルニュ(Auvergne)、アンジュー(Anjou)で何千人もの異教徒をキリスト教に改宗させ、後にフランスのアミアン(Amiens)に定住し、アミアンで斬首刑(西暦303年9月25日没とされている)となりました。

現在では、カトリック教徒で殉教者とみなされています。

 

12世紀になるまでパンプローナで聖人を崇拝した記録はないのですが、後にサン・フェルミンと、サン・フランシスコ・ザビエル(Saint Francis Xavier)はナバラ州の守護聖人となりました。

 

サン・フェルミン祭りは、12世紀以前からあったとされる「サン・フェルミンを称える宗教行事」と、14世紀以降に記録がある「見本市」と「闘牛」の3つの異なる中世の行事が組み合わせられたことに起源を持つと言われています。

 

商業的な見本市は、夏の初めに開催されていて、牛商人が牛を連れて町に訪れていたことで、やがて闘牛が伝統の一部として組み込まれるようになりました。

一方、サン・フェルミンを称える宗教儀式は10月10日に開催されていたのですが、1591年にパンプローナの天候が良い見本市と同時に行われるように7月7日に変更されました。

 

これがサン・フェルミン祭の始まりと考えられています。

 

現在サン・フェルミン祭が世界的に有名となり、多くの外国人観光客に知れ渡ったのは、アーネスト・ヘミングウェイの著書「日はまた昇る」の舞台となったことが大きく影響しています。

 

ヘミングウェイは、1923年初めてパンプローナに訪れた際に、パンプローナの町とサン・フェルミン祭に魅了され、1959年まで何度もパンプローナを訪れています。

 

MEMO

グラン・ホテル・ラ・ペルラ(Gran Hotel La Perla)や中心部のカスティージョ広場(Plaza del Castillo)にあるカフェ・イルーニャ(Iruña Café)は、ヘミングウェイのお気に入りの場所としてとても有名です。

 

ただ、ヨーロッパ史に出てくる多くの聖人のように、サン・フェルミンの逸話が「歴史学者の間で歴史的根拠があるわけではない伝説」とも言われていて、歴史的根拠がないにもかかわらず、サン・フェルミン祭のおかげで世界中の人々が彼の事を知っているのです。

 

サン・フェルミン祭:赤いスカーフ

ファイル:Chupinazo8.jpg

 

サン・フェルミン祭が始まる7月6日、パンプローナ市庁舎前広場には、白いシャツを着て赤いスカーフを持った市民で埋め尽くされています。

この白いシャツに赤いスカーフは、サン・フェルミン祭の典型的な服装であり、赤いスカーフは非常に重要なアイテムとされていて、祭りの象徴となっています。

 

パンプローナの町で簡単に入手することができます。

 

サン・フェルミン祭の幕開けとなるチュピナソ(開会宣言)の合図「Viva San Fermín, Gora San Fermín」と共にスカーフを首に巻き、祭りの最後の祝典である「ポブレ・デ・ミー(Pobre de mi)」を歌った後にスカーフを外すことが伝統となっています。

 

この象徴には、いくつかの説があり、スカーフの赤は、サン・フェルミンの殉教を思い出させるものという説で、殉教した聖人を讃える宗教儀式で司祭は一般的に赤い服を着ることになっており、それを意味するとされています。

 

もう一つの説は、1599年にパンプローナの人口3分の1を死に追いやり、都市を壊滅させたペスト流行を連想させるものという説です。

 

当時用いられたペストの治療法として、キリストの5つの傷を表す紋章が病人の胸に置かれました。

 

一部の人にとって、赤いスカーフはこれらの傷を象徴していて、パンプローナの人口3分の1の方が亡くなった痛み、ペスト流行の根絶への感謝の表現として使用されているそうです。

 

その他には、赤はナバラ州の旗の色を表しているという説や、雄牛の色であるという説もあります。

 

注意

エンシエロにウエストバンドやスカーフを着用することはあまりお薦めではありません。

これは牛の角が引っかかりやすく非常に危険なアイテムとなってしまうからです。

 

サン・フェルミン祭:行き方

サン・フェルミン祭が行われるパンプローナは、スペイン北部にあるナバラ州の州都で、マドリードから約450km、フランスとの国境から約100kmのところにあり、どの場所からでも非常にアクセスのいい場所です。

 

 ◆ 高速鉄道

 ◆ バス

 ◆ 車

 ◆ 飛行機

 etc…

 

 

 

サン・フェルミン祭:エンシエロ(牛追い)

File:Running of the Bulls on Estafeta Street.jpg

 

エンシエロは、恐らくサン・フェルミン祭の祭典の中で最も有名かつ白熱する行事です。

 

7日から14日まで毎朝開催され、数百人から数千人の参加者がパンプローナの歴史的中心部の通り849mに沿って、闘牛6頭と飼い慣らされた雄牛6頭、その他の牛3頭に追われる形で走りぬけます。

 

エンシエロは、闘牛の前に牛を牛舎から闘牛場に安全に移動させることが目的で始まりました。

牛たちは市庁舎から少し離れた牛舎で一夜を過ごし、闘牛場に誘導され午後に行われる闘牛に出場します。

 

エンシエロのスタート前には、ランナーたちがパンプローナ市庁舎の隣にあるサント・ドミンゴ通り(C. de Santo Domingo)の壁の隙間に置かれた小さなサン・フェルミンの像の下に集まり、エンシエロがスタートする5分前、3分前、1分前にサン・フェルミンに敬意を表して歌を歌います。

 

これは1962年に始まり伝統となっています。

 

♬♬ A San Fermín pedimos por ser nuestro patrón, nos guíe en el encierro dándonos su bendición.

Entzun, arren, San Fermin zu zaitugu patroi, zuzendu gure oinak entzierro hontan otoi. 
¡Viva San Fermín! ¡Viva! Gora San Fermin! Gora!' ♬♬

 

エンシエロは約3分ほどの宴ですが、毎朝8時に牛舎の門の開放を告げるロケット花火の発射によってスタートします。

 

6頭の闘牛に飼い慣らされた6頭の雄牛、他3頭の牛がその後に続き、最後の雄牛が牛舎から出ると二発目のロケット花火で知らされます。

 

そこから町中を雄牛が走りぬけ、全ての牛が闘牛場に到着すると三発目のロケット花火が発射され、その後参加者を観客を楽しませるために角が覆われた牛が闘牛場に放たれます。

 

注意

エンシエロは危険なイベントであり、賛否両論あります。

1910年以来、パンプローナでエンシエロの事故により16名の方が亡くなっているのも事実としてあり、毎年200名から300名の方が軽症ではあれ負傷しています。

また、2022年にバレンシアで行われたエンシエロで3名の方が亡くなっています。

牛追い祭りで3人死亡 スペイン東部 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

 

この事実を踏まえた上で、エンシエロに参加するのか観覧だけにするのか、自己責任で判断してください。

 

エンシエロ:起源

エンシエロの始まりは中世の時代で、闘牛の前に牛を牛舎から闘牛場に安全に移動させることが目的で始まりました。

 

19世紀前半までは、エントランダ(entrada)と呼ばれていました。

 

闘牛の前を市民が走り始めた時期について明確な記録がないのですが、1867年ごろではないかとの説があり、その頃には牛の後ろを追って闘牛場へ移動させていた人々が前を走るようになり、人気のイベントとなりました。

 

それが現在の白熱のエンシンロに成長したのです。

 

エンシエロ:ルート

エンシエロのルートは、パンプローナの旧市街の通りに沿って行われます。

 

スタートはサント・ドミンゴの牛舎(Corralillos del Gas)ですが、参加者はサント・ドミンゴ通りに集合し、市庁舎まで坂を登ります。

その後、メルカデレス通り(Calle Mercaderes)に沿って曲がり電話局を通って闘牛場に入る路地に続くエスタフェタ通り(Calle Estafeta)の直線を上るとゴールのパンプローナ闘牛場(Plaza de toros)に到着です。

 

エンシンロ:参加方法

エンシンロへの参加は、特に登録などの必要はなく18歳以上であれば誰でも参加可能ですが、かなり危険を伴うため規則や禁止事項などしっかり確認したうえで充分に考慮しましょう。

 

飲酒している方については、原則参加禁止となっています。


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最後に…

スペインには多くの歴史的建造物や、世界的に有名なお祭、訪問客が参加型で楽しめるものが数多くあります。

 

その中でも特にサン・フェルミン祭は誰もが楽しめるお祭です。

 

また、パンプローナは世界的に有名なサンティアゴ巡礼路の主要都市の一つでもあります。

 

 

サン・フェルミン祭に合わせて巡礼をすると、宿泊施設がなくて困るので、あまりこの旅の方法はオススメではありませんが…

 

マドリードやバルセロナなどの主要都市以外にも見所満載の場所が数多くあるので、何度も何度も訪れたくなりますね。

 

ぜひスペイン旅行を計画している方は、サン・フェルミン祭に参加することをオススメします♡